― 健康と太極拳 ― 太極拳教室から見た健康とその維持(清水 宏晏)
著者プロフィール
清水宏晏(しみずひろやす)
略歴
1944年生まれ
東京教育大学大学院理学研究科修了(理学博士)
岐阜大学名誉教授(工学部)
日本武術太極拳連盟 太極拳3段、公認A級指導員
2004−2016の12年間、岐阜大学にて太極拳授業;
https://www1.gifu-u.ac.jp/~ssasaki/Taikyokuken.htm
現在、岐阜太極拳すこやか教室を指導
1)はじめに;記述のポイント
太極拳をやっていて、どのくらい健康になりますか、と問われれば、おそらく「健康維持にはこの上なく良い」と答える。これは長年太極拳を愛好し、いつも頭の片隅に太極拳のイメージが存在するからだろう。太極拳は穏やかなスポーツで、心と身体にとって非常に有効であることは、最近ひんぱんに報告されているので、多くの方々に知られている。したがって、この紙面でそれらを代弁しても意味がないので、ここでは、一般人(競技選手志向でない)を対象にした太極拳教室の指導の現場における実体験から「健康と太極拳」について、日頃の思うところを述べたい。
2)日常における太極拳;健康であるために
愛好者の人口が増えているとはいえ、太極拳は決してメジャーなスポーツとは言い難い。経験からして、太極拳を始める人の動機は、ほとんどが「体に良さそうだから」の様である。これは太極拳の動きがゆっくりであるので、自分にも十分できる。そして、おそらくは体のためにもなるだろう、との考えからである。しかし、太極拳は片足立などもあり、本気でやるとかなりきつい運動であることが判ると、止める人も出てくる。そのため教室の方針として、みんなで楽しくできて、基礎体力を作るための準備運動を充実させる;例えば、スワショウ、左右1分ずつの片足立、みんなの体操、練功十八法(前段)等々。
継続する人はだんだん太極拳の良さを知り、毎週の太極拳教室を楽しみにするようになる。そして、太極拳をやった後の爽快な気分を感じるようになると、もうその人は太極拳が日常生活になくてはならないものとなり、太極拳にとって重要な次の二つのことを体験することになる;1)太極拳は中腰で動くことが多いため下肢筋力とバランス機能が補強され、日常生活でも動作が軽やかになり、転びにくくなる。2)太極拳をしている時は、套路の動作をイメージして、心と身体の統一に集中するため雑念が消え、心の柔軟性が得られる。すなわち、この二つにより身体と心の「健康」という非常に大事なことを日常生活において自らの意識の中に置くことができるようになる。
3)活動の場としての太極拳教室;健康の維持
教室での活動が2、3年目になると、日本武術太極拳連盟の地域組織の武術表演会や段級の検定試験に参加・挑戦する人が増えてくる。それらの催し物は各人にとって非常に有益な太極拳への意識と技術の向上につながる。それぞれの目的が見えてくると人々は予想以上に頑張り、思わぬ力を発揮する。そして、この頃になると、太極拳の成果が日常生活に反映される。特に、日頃の姿勢(立ち姿)が目立って良くなってくる。これは周りの人々との協調性や自分自身の体幹の重要性を意識し始めた結果であり、これにより日常生活において体内の気血の流れが大幅に促進される。その結果、心と身体の柔軟性が得られ、心身の健康状態は良好になる。さらに、音楽をバックに用いた練習、例えば太極拳教室での24式、48式太極拳の套路練習や表演会のための演武を目指す教室での全体練習等は、友人達と共に健康の有難さを直に感じる良い機会である。すなわち、自己の身体の動きを他の人々に合わせ、音楽のリズムに乗りながらグループ全体に調和し演武する太極拳的コミュニケーションは、心身の健康とその維持に予想以上の貢献をしている。
しかし、人間である限り、時として病魔におかされることがある。すなわち、健康な状態からの逸脱である。これを防ぐことに太極拳は無力かも知れないが、むしろ病気の治療後の療養・回復に太極拳は有効の様である。経験者の話によれば、担当医が、病のために中断していた太極拳教室への復帰と練習再開を強く薦めたという。その後のことは、以下の様に良い結果に落ち着いた。
(上記の経験者によるコメント)
太極拳教室に通い始めて3年目に大病が発覚し、治療の始まりとともに、体力の低下を感じる様になりました。主治医は太極拳がメンタル・フィジカルに有効だとして、太極拳教室への参加の継続を薦めました。早速に復帰した教室では、適度なディスタンスのある見守りがむしろ心地よく、今では体力が回復し、以前の様に元気に太極拳を楽しんでいます。
(他のメンバーによる健康へのコメント)
1)太極拳には、人を落ち着かせる力がある。言い換えれば、大きいものに抱かれる心地、すなわち、太極拳をやっていると、大自然の中にいる様な気持ちになる。このことが間接的ではあるが、自分の健康維持につながっていることは確かであろう。
2)太極拳を始めて13年余になります。肩こり症のため、それまでは月1回のマッサージ通いが、今では2−2.5ヶ月に1回となり、太極拳のお蔭だと思います。また、教室での仲間との楽しい会話は、心にビタミン剤を頂くようで、心身共に元気になる気がいたします。
4)高齢化時代の太極拳;マイペースと安全と健康
世の中のすべての分野で高齢化が進んでいる。太極拳の世界でも同様であろう。特に、地域の太極拳教室では60、70歳代の方々が増えており、私達の教室も例外ではない。したがって、教室運営のため、自分達の太極拳教室の目的は何か、と自問自答してみる。もちろん例外はあるが、競技用の選手を出すわけではなく、あくまでも地域のみんなの健康維持が主目的である、と認識すれば、その目指す方向性は自ずと明確になる。自分達のペースで、自分達の安全と健康を確保し、太極拳のレベルを決して落とすことなく、日々楽しく稽古をすることが、最も重要ではなかろうかと。それらを確実にするために、稽古途中の休憩時間も大事にし、太極拳だけの範囲を越え、大きな家族の様に何事も相談できるコミュニケーションの場を持つようにしている。これにより年齢差を越えた協力関係が得られ、互いに気持ちの良い太極拳の時間が持てる様になる。
5)太極拳と俳句(筆者の最強の健康法)
10年前から俳句を楽しんでいる。俳句で頼れるのは、感性と想像力、おそらく、心の柔軟性である。したがって、日常生活で太極拳と俳句の組合せは、心身にとって最強の健康法と思える。「太極拳と俳句をやっていますので、なかなか死ねないでしょうね?」と冗談交じりによく云うことがあり、時として笑いを誘い話の輪ができる。
筆者の太極拳に関する拙句;
1)初稽古学生に説く立ち姿
2)太極拳ゆるゆる春の風つかむ
3)口ぐせは背筋まつすぐ風薫る
4)太極拳の琵琶弾くかたち立葵
5)白靴の老師しなやか太極拳