― 健康と太極拳 ― 太極拳の科学 健康の増進と健康寿命の延伸(川村 邦夫)
著者プロフィール
川村 邦夫
瀋陽薬科大学客員
教授 薬学博士
略歴
〇1935年生まれ、東京大学薬学部卒(薬学博士)
〇日本防菌防微学会名誉会員
〇PDA(非経口薬協会)名誉会員
※PDAの本部は在米国
〇WHOアドバイザー(医薬専門家委員会)歴任
太極拳が、中国で発案されたものであることは、ご存知の通りですが、今、アメリカの医学界でも注目されています。2019年8月20日のハーバード大学医学部の出版物に「太極拳」(Tai Chi)の記事が載っています。概要は、次の通りです。
「『太極拳(Tai Chi)』は緩やかな鍛錬法ですが、持久力、柔軟性、バランス感覚、今後の生活の活動力の源になります。太極拳は元々中国の武術から発展したもので、心身の鍛錬のために取り入れられましたが、健康に対する良さが医学的に証明されつつあります。太極拳は、体のゆっくりした、止まることの無い動きで、例えば鶴が羽を伸ばした姿を思わせる動きや、武術の動き、瞑想をするような姿をして決して静止せず、体のあらゆる部分を動かすところに特徴があります。従来の医療の補助として取り入れて、効果を上げています。」というものです。
世界的医学の最先端が注目するようになっています。「医学の補助」と言う点は納得しかねるところですが、医学の最先端の記事なので大目に見てもよいと思います。しかし、太極拳の本来の目的は、「〇〇疾病の予防」とか「リハビリ」ということではなく、積極的に「心身の鍛錬」「健康の維持・増進」ということにあると思います。そのために「健康」「運動」「運動の継続」の事について述べたいと思います。
1.健康寿命
「健康」を計る尺度の一つに「健康寿命」と言うのがあります。「平均寿命」は、全国民を対象として厚生労働省が出生数、死亡数、死亡年齢から計算します。「健康寿命」は、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義されています。「健康寿命」は3年に一回、「国民生活基礎調査」に基づいて、厚生労働省が計画し、偏りのないように選んだ対象者に対して、健康状態の質問を行った結果を基に計算されます。健康の調査は、次のような質問によります。
「あなたの現在の健康状態はいかがですか」と質問し、そこで「よい」「まあよい」「ふつう」と回答した人を「健康な人」と見なして「健康寿命」の計算の対象者とします。健康上の理由で日常生活に支障がある人、要介護の人、健康について普通以下」と回答した人は除かれます。「健康な人」も年を重ねると次第に「健康ではない」人となり統計から除外されます。その意味では「寿命」と同じような経過をたどります。0~1歳では100%健康、100%生存で、そこから健康曲線も生存曲線も次第に下がっていき100歳では健康も生存も、ほぼ0%となります。図1の太い横棒矢印で示した中間点が「平均健康寿命」、「平均寿命」を示します。「平均寿命」は毎年発表されますが、「健康寿命」は3年おきです。2018年の健康寿命は男性が72.14歳、女性は74.79歳。2019年の平均寿命は男性が80.98歳、女性は87.14歳です。
2.課題
ここで問題となるのは、平均寿命と健康寿命の差です。その差は男性で8.84年、女性は12.35年です。即ち、「健康寿命」が尽きてから男性は8.84年間、女性では12.35年間、「日常生活が制限された生活」を続けることになります。加えて、イギリスのリンダ・グラットンが著書「LIFE SHIFT - 100年時代の人生戦略」(2016)で、2170年には二人に一人が100歳まで生きると予想しています。これを受けて、政府は「人生100年時代」を見据えた経済・社会システムを実現するための政策のグランドデザインに関わる検討を行っています。「人生100年、健康寿命75年」では、25年間も不自由で不健康な生活を送らなければならないことになり、余生を楽しむどころではなくなります。日本は今、労働力不足を如何にして克服するかを考えている時です。他人の援助を期待することは出来ません。私達自身のためにも、我々の子孫のためにも、健康寿命を延ばし、「人生100年時代」に対する用意をしておかなければなりません。それは数10年先の事ではなく、今から、身近なことから取り組まなければなりません。健康寿命を延ばし、平均寿命に近づけなければなりません。そのための第一は、健康に留意した生活を送り、さらに積極的に「運動」をして体力の維持・増進に努めることです。現在の健康寿命と平均寿命の差(約10年)は長すぎると思われます。
3.「健康寿命をのばしましょう」運動
厚生労働省は「健康寿命をのばしましょう」というスローガンを掲げて、国民全体が人生の最後まで元気に健康で楽しく毎日を送れるという国民運動を展開しています。運動、食生活、禁煙の3分野を中心に、具体的なアクションの呼びかけを行っています。これらのアクションの他、健診・検診の受診を新たなテーマに加え、「健康寿命」の延伸を目指し、プロジェクトに参画する企業・団体・自治体と協力・連携しながら推進しています。今後目指すべき方向は、単なる長寿ではなく「健康寿命(=日常的に介護を必要としないで自立した生活ができる期間)」を伸ばすことにあります。私たちはこの運動に直接参加しているわけではありませんが、武術太極拳を通して「健康寿命」の延伸に貢献していますが、武術太極拳が益々普及することを願っています。
4.健康と運動、その継続
健康寿命を伸ばすには、日々の生活に留意することは勿論ですが、積極的に「運動」をして体力の維持・向上に努めなければなりません。これは私達自身の心身の健康のためであり、心身の健康は、自身の幸せでもあります。運動が健康に貢献することは既に長年の研究によって証明されていて、ここで改めて述べる必要はないと思います。問題は、「運動の継続」にあると思います。TVでは健康に関する特集が時々あり、足腰を鍛える運動、全身運動などがよく放映され、関心を持って見ていますが、なかなか実践するには至りません。「運動」に関しては、継続できること、継続するためには楽しさと動機づけが必要です。
5.運動の継続意欲に関わる二つの項目 - 「楽しさ」と「運動有能感」
その運動が「楽しい」ということは、継続する上で非常に大事なことです。これには、トレーニング・メニューがあること。変化があること。音楽を聴きながらなどが挙げられています。武術太極拳では24式、48式など、動作の組み合わせによる一連のプログラム(ストーリー)とテンポがあり、それぞれの動作に意味があり、これが武術太極拳を楽しい運動にしています。太極拳には決まった音楽はありませんが、音楽に合わせて演舞することが多く、更に、熟練度により級・段の制度があり技能のレベルに応じて、昇級、昇段していくことも武術太極拳を楽しくしている一つです。太極拳は一人ですることもできますが、普通、集団で行うことが多く、皆が音楽に合わせて同じ動きをする楽しさもあります。
「運動有能感」と言うのは、「その運動が自分にもできると感じられるか」と言う感覚です。武術太極拳は、極めてゆっくりした動きであり、一見、「自分にもできる」と感じることが出来ます。一つ一つの動きに意味があり、且つ、武術を元祖としているので、敵対する相手を想定しています。体・手足の動き、力の入れ方、姿勢総てが理にかなったものであり、一見「自分にもできる」と思わせながら、実は「奥の深い運動有能感」を求められているところも魅力の一つです。
以上