― 健康と太極拳 ― 太極拳の効果に関する医学的研究
(1)はじめに
筆者はご縁があって医科学委員会に関わらせて頂くことになりました。筆者自身は、太極拳は全くしておりません。家族の者が熱心にしており、それを端から眺めてきました。正直、最初のころは「何が面白いんだ?」という感じでみていました。ただ意外と筋力を必要としそうだし、集中力が必要な感じは受けていました。
最近になり太極拳の健康や多様な疾患に関する治療効果について医学界でも科学的な方法に基づいた研究が多数発表されています。今回、第三者的な立場から最近の医学界における太極拳に対する見方について、日々稽古に励んでおられる皆様に紹介しようと考えました。
(2)太極拳に関する医学論文数の増加
世界中の医学論文のうち、ある程度しっかりした科学的方法に基づいたものは英文で記載され、米国の医学論文データベースに登録されます。ここに登録されている医学論文は、個人の感想や期待ではなく、しっかりした方法に則って検討された研究発表ということになります。そしてインターネットではPubMedというホームページで世界中誰でも無料で検索できます。
太極拳の英文表記は“Tai Chi” ですので、この検索語を使って毎年どれぐらいの太極拳論文が発表されているかを調べることができます。
図1に示しましたが、ここ20年で急速に増えています。このような医学論文では、太極拳を一言で説明するときの用語として、Mind-body practice(心と体の鍛練)、Balance exercise(バランス訓練)、Meditative movement therapy(瞑想的運動療法)などの用語が用いられています。
太極拳の治療効果に関して検討された疾患は、骨粗鬆症、転倒予防、線維筋痛症、変形性関節症、関節リウマチ、パーキンソン病、認知症、不眠、癌治療後の状態、糖尿病、脳卒中、心不全、慢性閉塞性肺疾患など、かなり多彩ですが、多くの疾患で治療効果はあるようです。
また内科医が使う医学教科書のうちで最も普及しているものの一つであるUpToDateという教科書でも、太極拳は複数の項目で取り上げられています。「高齢者における身体活動および運動」「高齢者の健康維持」などの項で太極拳が肯定的に取り上げられています。
(3)代表的な医学論文の一例
代表的な論文を一つだけ紹介します。The New England Journal of Medicineという医学界では最も有名な医学雑誌に発表されたものです。検討されたのは線維筋痛症という疾患で、慢性で身体のあちこちの筋骨格系の痛みをきたし、倦怠感や不眠など心身の不調をきたします。この疾患の患者さん66人を2群に分けました。太極拳をする群33人とストレッチをする群33人の患者さんに分けました。分けるためにはクジでどちらになるかを決めます。クジで決めるのは両群間で治療効果を比較するときに患者さんの背景が似るようにするための重要な科学的方法です。両群で1回60分ずつの練習を週2回12週間行いました。その結果、病気の症状の得点は太極拳群ではストレッチ群より100点満点で18.4点優れており、身体の健康感指標では7.1点、心の健康感では6.1点優れていました。このような効果はその後24週間でも保たれていることが確認されました(N Engl J Med 2010;368:743)。
(4)ヨガ、気功、マインドフルネスなど
なお太極拳だけではなく、実はヨガと気功についても最近はかなり医学研究の対象になっています。また瞑想することもマインドフルネスとして注目されています。上記の米国医学論文データベースに登録されている論文数は、マインドフルネス>ヨガ>太極拳>気功の順に多くなっています。
マインドフルネスは瞑想ですが、瞑想をして自分の呼吸に集中したりすると、感覚が研ぎ澄まされる感じがしてなかなか気持ちがいいものです。自分の頭の中で思考や感情はかなり自動的に自然に流れていきます。これをリセットできることが集中することの効果なのかもしれません。太極拳は瞑想の要素も含んでいるようにも思います。
このような医学研究が増えてきた理由として、治療効果を検討するための科学的方法論が整理され医学界でも普及してきたためかもしれません。従来は若干神秘的にもみえたものにきちんとした方法で検討をすることができるようになったのでしょう。
図1:米国医学論文データベースに登録された太極拳に関する医学論文数の推移。太極拳は”Tai Chi”[ti]として検索。
(5)太極拳ゆったり体操
読者の皆様は既にご存知でしょうが福島県喜多方市は太極拳のまちです。介護予防を目的とした太極拳ゆったり体操が市全体で行われています。福島県立医科大学の安村誠司教授が指導されています。太極拳は介護予防に有効であることが推定されます。日本全体で高齢者人口が増える中で、介護予防は極めて重要な問題です。このような活動の成果が確認されていくのが楽しみです。
(6)結びに
何でもよいので自分に合ったことを見つけて、継続して身体と心を使うのはよいことです。太極拳はそのための一つの活動なのでしょう。優れている点は、ご高齢の方にもでき、安全で、安価で、場所を選ばず、ビデオをみながらでもできる、身体と集中力を養うことができる点などでしょう。段の制度もあるようで、謙虚に道を究めようとする助けになります。何につけても上達しようと努力することはその道以外でもいろいろと得るものがあるのでしょう。
家の中で太極拳の真似を冗談でしてみますが、なかなか難しいです。歩き方や立つ姿勢の悪さからして家族の者に笑われます。「やってみたら」ともいわれません。