― 健康と太極拳 ― フィールドワーカーが見た公園の太極拳とゆるやかさの源泉(池本 淳一)
著者プロフィール
池本 淳一
略歴
1976年生。大阪府出身。博士(人間科学、大阪大学)。中国社会科学院社会学研究所(訪問学者)、大連外国語学院(日本語教師)、蘭州理工大学(日本語教師)、早稲田大学スポーツ科学学術院(助手・助教)、松山大学社会学部(講師・准教授)を経て、2019年4月より会津大学コンピュータ理工学部文化研究センター(上級准教授)。
武術・太極拳関係の著作:
『実録 柔道対拳ボクシング闘:投げるか、殴るか』(BABジャパン)、「福島県喜多方市における『太極拳のまち』の歴史と制度」(『松山大学論集』28巻6号)、「伝統中国における禁武政策と民間武術の法的基盤 ――武器に関する禁令に着目して」(『会津大学文化研究センター研究年報』第26号)、「中国伝統武器の手触り」(取材・文を担当、毎号2頁掲載。『月刊秘伝』2019年9号~2020年8号、全12回。)等。
皆様、はじめまして。会津大学の池本淳一と申します。専門は地域社会学、観光研究、日中比較などですが、高校時代から武術を始め、長拳螳螂門、空手、散打競技、八極拳、翻子拳、24式太極拳などを学んできました。また趣味が高じて(?)日本と中国の武術史も研究しています。私は2005年から2010年まで中国で研究や教育に従事しておりましたが、社会学のフィールドワーク(現地調査)のかたわら、巷の民間武術を一目見ようと、早朝の公園をウロウロしていました。もっとも、すでに民間の伝統武術を学ぶ人は非常に少なく、偶然出会えるわけもなかったのですが……。当時の私はそんなこととはつゆ知らず、いつも木々の影から「あ、あの動き!伝統武術やないか!?いや、違うか……」と、一人ドキドキしながら公園で太極拳を練習している中高年に熱い視線を送っていました。
しかしこの公園でのフィールドワークを通じて、中国の人々がなぜ、どのように太極拳を練習しているのかについて知ることができました。そこでこのエッセイでは、武術好きのフィールドワーカー(現地調査者)の視点から、公園の太極拳とその社会的背景についてご紹介したいと思います。
中国でも、もちろん本格的に太極拳を学ぶ方は教室や老師の家で練習するのですが、多くの方は公園や広場で練習しています。公園での練習の場合、だいたい早朝の6時半ぐらいからなんとなく人が集まりだし、めいめいおしゃべりしながら片足を鉄棒や壁にひっかけた圧腿(股関節の柔軟)や、手をぶらぶらと振る甩しゅわいしょう手をし始めます。そのうちCDラジカセ(当時はまだ現役でした)をもったリーダーらしき人が現れると整列し、太極拳のCDが流れると練習開始。リーダーや列の先頭に近い人ほど上手ですが、後方の人は見よう見まねで動いており、日本のように先生や先輩が逐一動作を教えてくれる、といった光景はあまり見かけませんでした。また特に会員資格のようなものもないようで、誰でも自由に列の後ろについて練習することができます。そうして30分ほどでCDが終わると、特に終わりの号令も連絡事項もなく解散となります。また練習後はおしゃべりしたり、公園の健康器具で運動したり、将棋やトランプなどのゲームに参加したりして、そのまま居残る人も少なくありませんでした。
日本の教室で行われている太極拳と比べると、練習も参加資格も随分とゆるやかですが、太極拳を公園でのレクリエーションの一つ、と見ると、そのゆるさも納得できます。私がいた当時、室内での娯楽が少なかった時代の名残りなのか、あるいは元々社交的な気質のためなのか、屋外で自由時間を過ごす人が多かったです。たとえば地方の小さな町ですら、夜になると道路や公園、広場に屋台や露店がならび、個人経営の小さな売店ですら夜遅くまでやっており、非常に賑やかでした。そして夕食後、近隣住民がそこをぶらつきつつ、ちょっとした日常雑貨や食べ物、服なんかを買ったり、単におしゃべりしたりして過ごしていました。
このように中国では「食後のまちあるき」を楽しむ習慣があり、公園や広場はそのメインスポットの一つとなっていました。そして公園や広場には、取っ手をぐるぐる回して腕と肩の運動をする円盤、その場でランニングのような動きができる歩行器具、そして多種多様な鉄棒や雲梯が設置されており、ぶらつきついでにそれらで気軽に運動をする姿をよく見ました。
同様に、学生も「食後のキャンパスライフ」を楽しんでいました。たとえば私が大連や蘭州の大学で日本語教師をしていた頃は、ほとんどの学生が学内の寮に住んでおり、夕食後に学内のお店――中国ではキャンパス内に普通の個人商店や食堂が出店しています――で買物や食事をしたり、グラウンドのトラックをえんえんと歩きながらおしゃべりしたりしていました。また校内の広場やグラウンドでランニングやバドミントン、バスケットボール、卓球(コンクリート製の卓球台がありましたね)を楽しむ学生も多かったのですが、コーチの指導のもとで基礎から練習してきたような、「セミプロ」レベルの学生を見かけることはありませんでした。実は中国の普通の学校では、いわゆる日本の体育会系の運動部に当たるものがありません(なお大学では「社団」と呼ばれるサークル活動はありますが、体育会系部活なみの練習をしているようには見えませんでした)。そもそも中国では、アスリートを目指す学生は体育中学・高校に進学するため、普通学校の中でアスリート並みの練習をこなす学生というのは想像しづらいものがあります。その反面、大学進学を目指す普通中学・高校の生徒たちは苛烈な受験戦争にさらされており、体を壊す生徒も少なくないため、気分転換と体力づくりのためのレクリエーション的なスポーツには、日本以上に積極的に取り組んでいる様子がうかがえます。
このように、当時の中国では老いも若きも、オープンスペースでスポーツや健康づくりをレクリエーションとして楽しむという光景がよく見られましたが、公園の太極拳もまたそのような娯楽的体育の一つなのでしょう。そう考えると、その「ゆるさ」は、中国の人々の生活習慣に根差したものであり、また根差しているからこそ、無理なく気長に、そして楽しく続けることができるのだと思います。
逆に言えば、そのような習慣のない日本で太極拳を続けるには、また別の工夫が必要でしょう。たとえば連盟の技能検定も、上達を実感し可視化させることで、練習のモチベーションを維持し続ける効果があると言えるかもしれません。また私の専門である地域と観光の視点からは、日本の太極拳文化は地域資源や観光資源としても十分に魅力的なものに見えます。たとえば喜多方市の「太極拳フェスティバル」は喜多方のイメージアップに貢献しうる地域イベントであり、さらに県外からも多くの参加者が集まるため、市内観光の促進や宿泊客の増加も期待できます(詳細は拙著「福島県喜多方市における『太極拳のまち』の歴史と制度」を参照のこと)。これを参加者の視点から見れば、太極拳は教室の外へと友人や活動範囲を広げてくれるものであり、その楽しみもまた練習の励みになるかと思います。
人生100年時代、健康寿命を延ばすことがますます重要になってきます。そのためにも、楽しく気長に、ゆるやかな太極拳ライフを過ごす工夫もまた求められているでしょう。…と、まぁ肩肘はらずに、ファンソンファンソン。気楽にゆるりと、太極拳をもっと楽しむ方法を考えてみてはいかがでしょうか。ではでは、このへんで。