― 健康と太極拳 ― 太極拳が健康にもたらす効能(前田 育宏)
著者プロフィール
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前田 育宏
大阪大学医学部附属病院
医療技術部
略歴
1962年生まれ
1984年 近畿大学薬学部薬学科卒業
1985年 大阪大学医学部附属病院中央臨床
検査部勤務
1993年 大阪大学医学部附属病院臨床検査部 主任技官
2012年 大阪大学医学部附属病院医療技術部検査部門 副技師長
2015年 大阪大学医学部附属病院医療技術部検査部門 技師長
2018年 大阪大学医学部附属病院医療技術部 部長
学位
2002年 博士(医学)(大阪大学)
その他
日本適合性認定協会 臨床検査室上席主任審査員(ISO 15189)
「健康と太極拳」というテーマで寄稿してほしいとの依頼を昨秋に受けて以降、正直何を書かせて頂こうかと逡巡していた。私自身、病院勤めではあるが、医師ではなく臨床検査技師として、患者さんから採取された血液や尿などの体液成分を検査してきたし、しかもここ十年間は管理的な業務を行っていることから、健康について論ずる立場にはなく、また、太極拳を長年継続して練習している訳でもないことから、的確なお話ができないことを予めご了承頂きたい。
私と太極拳との関わりは、約15年前に開催された大阪大学医学部附属病院医療技術部創立1周年の祝賀会の席上で、当時の医療技術部長が、「誰か太極拳をやらないか?」と声を掛けていたのを聞き、その後当院に勤務されていた西村誠志先生に指導をお願いして毎週1回、1時間程度の練習に参加したのが始まりである。元々私自身、小学生の頃にブルース・リーの映画を見て、その格闘シーンに魅了されて、武術に興味を持つようになり、高校生の時には学校のクラブ活動として、少林寺拳法部に入部し、3年間練習に励んでいたことから、「太極拳をやらないか」という声掛けには直ぐに「やりたい!」と反応した次第であった。
それで、いざ練習を始めてみると、外観上、動きはゆっくりであるにも関わらず、体のあちらこちらの筋肉が悲鳴をあげる始末だったし、高齢の方でもラジオ体操をするかのように、簡単に演武されているイメージしかなかったので、そのギャップに驚かされたことも記憶している。また、普通に立っている西村先生を両手で押してもびくともせず、その安定した姿勢の維持が可能となるのは、太極拳を長年修行された賜物と感心させられたことが思い起こされる。
太極拳の動きはゆっくりだが、それ故に安定した下半身が要求され、自身の重心を低く保つ必要があることを再認識した次第である。そして、その後数年ほど週1回だけだが練習を続け、2013年、西村先生のご退職を機にろくに上達せぬまま、太極拳とは疎遠になって現在に至っている。
そういう状況の中、今回寄稿するにあたって太極拳が健康にもたらす効能について、少し遡って調べてみたところ、2010年に日本衛生学雑誌という学術専門誌に「太極拳が精神的・身体的健康度に及ぼす効果」という題名の論文1)を見つけた。この論文では過去の研究成果2),3),4)を引用して、太極拳は自律神経調節機能に影響して、心拍数減少や血圧低下を及ぼし、また副交感神経応答が亢進すると言及している。自律神経は交感神経と副交感神経に大別され、これらは瞳孔、唾液腺、心臓、気管支、胃・消化管、肝臓などの臓器の機能維持に関与している。交感神経と副交感神経は互いに機能的に相反する作用を示し、例えば交感神経が刺激されると心機能が亢進されて、頻脈になって、血管も収縮して血圧が高まることになるが、逆に副交感神経が刺激されると心機能は抑制されて徐脈になり、血管も拡張して血圧は低下する。先の論文に示された心拍数減少や血圧低下というのは、まさに副交感神経が亢進した結果と言える。
また、同論文では、脂肪成分である総コレステロールや悪玉コレステロールと言われているLDLコレステロールも減少し2)、インスリン感受性が増す3)ことを示している。脂肪成分の減少は動脈硬化の予防になり、またインスリン感受性が増すということは糖尿病、特にインスリン抵抗性のⅡ型糖尿病の病態改善が期待できると考えられる。総コレステロールは肝臓で合成され、肝臓は自律神経で機能調節されていることから、もしかすると先に述べた太極拳の自律神経調整機能への影響による2次的な効果ではないかと思われる。
さらに、同論文では精神健康度への太極拳の効果についても触れられており、不安や抑うつなどのネガティブな感情の減少と活気や喜びなどのポジティブな感情の上昇がみられることを示唆している5)。ネガティブな感情による緊張感、心悸亢進、息切れ、疲労感、集中困難、睡眠障害などの身体的症状には大脳の辺縁系と呼ばれる部位が密接に関与しており、改めて言うまでもなく、自律神経系は大脳に繋がることから前述の血圧低下や脂質減少と同様、不安定な精神バランスの調節も太極拳がもたらす効果の理由ではないかと思われる。
以上のように、太極拳は神経を集中させながらゆっくり動くことで、必然的に精神・気持ちがリラックスして安定し、日常の社会活動によって崩れた自律神経のバランスを元に戻すことになり、その結果自律神経に支配されている各種臓器機能も正常な状態に戻されるということになると言えるのではないかと考える。
病は気からというが、この「気」をコントロールする太極拳を継続的に実践するということは体内の「気」の流れ、気流を絶えず安定的にバランスのとれた状態に維持することになり、病気からの快復や健康維持に多大な効果をもたらすことが期待できると思われる。
私もまもなく還暦を迎えて、今年度で今の職場を定年退職することになる。人生100年を全うするためには健康第一が必要で、また今後機会があれば太極拳の練習を再開できればと思いながら、筆をおくこととする。
1)日本衛生学雑誌、65、500-505(2010)太極拳が精神的・身体的健康度に及ぼす効果、大平雅子、戸田雅裕、田 麗、森本兼曩
2)Ko GT et al.. A 10-week Tai-Chi program improved the blood pressure, lipid profile and SF-36 scores in Hong Kong Chinese women. Med Sci Monit, 12,CR196-CR199, 2006.
3)Thomas GN et al.. Effects of Tai-Chi and resistance training on cardiovascular risk factors in elderly Chinese subjects: a 12-month longitudinal, randomized,controlled intervention study. Clin Endocrinol, 63,663-669, 2005.
4)Lu WA et al.. The effect of Tai-Chi Chuan on the autonomic nervous modulation in older persons.Med Sci Sports Exerc, 35, 1972-1976, 2003.
5)Jin P et al.. Efficacy of Tai Chi, brisk walking,medication, and reading in reducing mental and emotional stress. J Psychosom Res, 36, 361-370,1992.