― 健康と太極拳 ― 私と太極拳(桂木 聡子)

著者プロフィール

桂木 聡子(かつらぎ さとこ)

桂木 聡子(かつらぎ さとこ)

大学卒業後太極拳と出会う。
練習中にケガをして審判業務を始める(国際審判員も務める)。
現在も公認拳術一級審判員として業務を務める。
現職は兵庫医科大学薬学部教授

私が太極拳を始めたのは、大学を卒業してからでした。

就職して今までの生活とは全く違うリズムの生活が始まり、未だどんなふうに過ごすのかが決まらない時でした。家の近くで、今まで特に運動していなくても体を動かすことができるのではと、何となく始めたのがきっかけ。

その時一緒に始めた高校生から「若いうちは、長拳だ」と言われても、何を言われているのかがわかりません。確かに大学卒業したては若いかもしれませんが、今まで肺活量を増やすための長距離走や山登りはしていたものの、スポーツという活動とは無縁の私にとって、全く未知の世界でした。

そして、私はこの世界で多くの学びを得て、今もまだその学びは進行中です。

〇先ず自分の身体について

老師が見本を見せてくれても、手と足をどのように動かせばそうなるのかがわからない。何回見てもわからない。うんうんうなっている私に老師が言われました。「頭で考えるのではなくて、先ずやってみる」うぅぅぅんんん、それができない。

けれど、何回もやっているうちに「とにかくやってみる」ということが少しわかるようになってきました。身体は動くように動く。何回も練習をすることでよりスムーズに動くようになる。そして、なぜその動きをするのかがわかればもっとスムーズに動くようになる。身体は自分のものなのに、そんな簡単なことさえわかっていなかった。

そして、全然できない私を見捨てることなく、私にできる套路を考えてくださる老師の何と根気強いことか。人を観ることを気づかされました。

〇次に、色々な年代の人との関わりで気づいたこと

4歳ぐらいから100歳ぐらいの方が一緒に練習をしている。基本は同じ。

年齢ではなく、練習年数の長い方が先輩。

学校は、同年代で上に上がれば上がるほど同質な関係性が強くなるので、これほど多種多様な人たちと関わることはなかなかできない経験。できるようになること、できなくなること。人生のイベントで同じような毎日が少しずつ変わってゆくこと。見ているときと自分で感じることが違うということは頭でわかっていてもなかなか腑に落ちることはないけれど、本当に色々な物語を持った人たちと、同じ練習で一緒に悩むことで、何となくわかってきました。

〇アンコンシャスバイアスと思い込み

女の人でもあんなに早く動けて高く跳べるんだと驚いて、驚いている自分に再度驚く。私の中に女の人は男の人のようにできないとどこかで思い込んでいたということ。練習が終わったら老師がみんなに食事を作ってくれる。自分の武器を入れる素敵な袋を男の人が自分で作る。あーみんな自分ができることを普通にしている。

※アンコンシャスバイアスとは「無意識に思い込むこと」を言います

〇評価されるということと評価するということ

失敗しなければよい点数が取れるわけではない。どのようにすればよい点数が取れるのかを人を見て考える。さらに評価する側になった時に、本当にその評価が正しいのかを常に自問する。基本に戻って軸を立て、偏らない判断基準に照らして考えられるように自らを磨く。それが体幹(行動・考え方)の基本になる。

〇そして何より、楽しむ

未だ中国語の覚束なかった私の解釈がすべて正しいとは思えないけれど、穏やかに嬉しそうに話してくださった老師。「大地から気をもらって、身体を巡らせ周りの気を引き連れて発散する。自分も自然の一部になる。」

人は、いずれは亡くなるものとして産まれてくる。その時間は人によって違う。

その間に、色々なことや変化があり、それに抗うのではなく上手に付き合っていくことが大切であると思う。抗わないというのは、単に負けを認めるということではなく、太極拳の中の推しては引くの極意を極めるということのように思う。健康に生きるということは、病気をしないことでも薬を飲まないで過ごせることでもなく、色々な助けを借りても、本当の意味で自分らしくのびのびと生きることなんだと教えるのではなく気づかせてくれた。

私が太極拳に出会ったのは、ほんの偶然かもしれない。けれど、その偶然が今の私の内側を満たしてくれている。大きく息を吸って、ゆっくりと息を吐く。もうしばらく私にできることを続けようと思う。