― 健康と太極拳 ― 「正解はからだの中にすでにある」(柄本 三代子)

著者プロフィール

柄本 三代子(えのもと みよこ)

東京国際大学教員、専門は社会学。
主著は『健康の語られ方』(青弓社、2002年)、『リスクと日常生活』(学文社、2010年)、『リスクを食べる』(青弓社、2016年)。
共著として『猫社会学、はじめます』(筑摩書房、2024年)など。

曽祖父の膝に座って撮った私の写真が残っているくらい、まあ長生きの家系のようだ。

86歳の父と84歳の母は、それなりにいろいろあるけれど今もふたりで暮らしている。

何もないわけでもないだろうに「日本のひなた」などと、どこにでもある太陽をひっぱり出した宣伝文句を最近考えついた宮崎県の、なかでも気候の良い沿岸部の小さい漁村が私の出身地だ。

そんな村で生まれて育って近海の漁師を細々とやっていた父方の祖父には名言がある。

「一か月ぐらい寝込んで死ぬっとがいちばんいっちゃが」。

小学校を出ただけで一冊の本も生涯読んだことのない無学な人だったが、自分で言ったとおりに他界した賢人だ。

祖母たちもだいたいそんな感じでこの世を去った。

だから私には、身近な誰かがずっと寝たきりだったり、あるいはその介護で苦労していたりする姿が思いうかばない。

だからといって自分は安心だ、ということにはならないのが健康というものだ。

死ぬまで、死にそうになりながらも健康を目ざそうとする。

あれもこれもダメだったり、あれやこれをやれ、ということだったりする。

今の自分がどんなに健康であったとしても、さらなる正解を求めて右往左往している。

父は曲がりきった足と腰をひきずるようにラジオ体操をしたり自転車をこいだりしている。

大腿骨骨折をくり返した母も、また杖なしで歩けるようになると信じてリハビリに励んでいる。

魚を骨ごと食べてカルシウムをとるなどして食事にも気を遣っている。

健康に生きるという目的は、私たちの日々の行動を決定づけている。

どこかにある正解を次から次にひっきりなしに求めている。

健康のためということではないが、2020年の9月に私は空手を始めた。

「どうしてまた?」とかならず聞かれる。

理由はひとつではないのだろうけれど、自分でもうまく説明できない。

「自分のからだ一つで何かできるようになりたい」とかそんなことをその時、漠然と考えていたような気がする。

検索して、たまたま最初に見つけた近所の道場で体験稽古をしたとき、私がやりたいのはこれだ!とひらめき、その場で入会を申し込んだ。

空手にもいろいろあることや、私が始めたのがフルコンタクト空手というものであることはずいぶん後から知った。

日々の稽古のくり返しの中で、誰かの説明をからだに刻印していくという感じがしていた。

それは目の前の先生や先輩の身振りや言葉をとおして、数百年前からの教えだったりする。

それが時を経て人を経て、私の身になると実感する。

ひざ蹴りがいい、とたまに褒められることがある。

実際に町中でひざ蹴りを使うような修羅場は、おそらくこれからの私の人生に起こらない。

役に立つかどうかでいったらなんの役にも立たない。

だけど「いいひざ蹴り」をたまに出す自分が好きだし、なにより稽古も楽しい。

上段まわし蹴りも、もっとうまくできるようになりたい。

ますます、なんの役に立つのかわからない。

ともあれ、組手の試合に出るようになってから、私はほとんど勝てないのだけれど、ただひたすらくり返し稽古することで、技として自分のからだに培われていく実感がなおさらある。

空手を始めてからの変化は、ただ私のからだに起こっただけではない。

いろいろな人とのつながりができた。

空手をやっていなければまず出会わなかったような人たちばかりだ。

そんな中のひとりに関西に暮らすKさんがいる。

Kさんは太極拳をやっていて、空手ではないけれどまあ同じ部類に入るようなことを研究テーマとしておられるので話を聞いてみたかった。

大阪の西梅田公園というところに猛者たちが集まって「なにわ推手講」というのを毎月やっているからそこで会いましょう、ということになった。

フェイスブックでは「推手を通した門派流儀不問の技術交流会」と紹介されている。

ところで、私の暮らす町には善福寺川公園があり、朝歩いたりしていると、ときどき太極拳のグループに出くわす。

先生と思しき人が円の中心で、年配の人が周りに散らばっている。

立ち止まって、見よう見まねで少しやってみたりして、気というのがきっと大事なんだろうな、などとわかった気になって適当にきりあげてまた歩き出す。

2024年の1月に西梅田公園を訪れる前の太極拳に関する私の理解は、まあそんな程度のものだった。

「なにわ推手講」の面々が西梅田公園でやっていることや、その人たちのキャラがなかなか強めに渋くキラキラしていることについては、まだうまく消化できていない。

すべてにおいて、ひとことで言うなら「得体が知れない」。

推手はもちろん、太極拳ももちろん、人ももちろん、それどころか自分のからだのことも、やればやるほどよくわからなくなるばかりだ。

それだからか、すい寄せられるように私は西梅田公園へ何度も通うことになった。

やわらかく、軽やかに、そして静かに、曲線を描くように、対峙した人がからだを動かす。

それにあわせて私もからだを動かす。

呼吸が大きく乱れることもなく、へとへとに疲れるということもない。

けれど、全身運動をやったという爽快感は残るし、精神的な安定を得つつも足腰を鍛えているのだろうと思う。

私がとくに難しいと感じるのは、力を抜くということだ。

なにかにつけ私は力んでいる。

今はだいぶ良くなったのだけれど、あとから考えるにストレスの多い日々を送っていた時分には、気づくとほとんどいつも歯を食いしばっていた。

本当かどうかわからないけれど、一部の奥歯が割れたのはそのせいだと歯医者は言っていた。

ひとりでいる時でも、なにを身構えているのか知らないが力が入っている。

だけど、それに気づくようになったというのが私としては一歩前進だとも思っている。

それでもまだ推手をやっていると、笑われるくらいいつも力んでいることに気づかされる。

「なにわ推手講」では、いろんな人がいろんな言葉でいろんな説明をしてくれる。

腑に落ちることもあれば、まったく意味が分からないことも多い。

なんだかわからない力を受けて私はしばしば突き飛ばされたりもしている。

わかることもわからないことも、「なるほどすごい」とか「なぜそうなるんだ」と身をもって経験するというのはたいへん刺激的だ。

それでどうしても、どうすればうまくできるのか、といったことをいろいろと「得体が知れない」人たちに聞いてしまう。

ある時ある人は、「からだのここのところに穴が空くような感じ」と説明してくれた。

わからない。

初めて行った時に、くり返しやることでからだの中にそもそもある正解がわかる、みたいなことをHさんが話してくれた。

正解はからだの中にすでにある、と。

からだの外にあるわけではない、と。

Hさんはパッと見たところ普通のおじさんだが、よくよく見ると拳はハンマーのようだし、腹は鉄板のように硬い。

説得力が抜群にあるので何とかその言葉を理解しようとしている最中だ。

Hさんにかぎらず、みなさんとくに何かを教えようとしているわけではないけれど、私はいつもおもしろすぎて前のめりで食いついてしまう。

西梅田公園に通うようになって、自分のことを自分がいちばんよくわかっているわけでもないのと同じように、自分のからだのことを自分はあまりよくわかっていないのだな、とつくづく思った。

でも、私はいま何ができないのか、ということがわかるだけでもすごいことだと思うし、それは逆に、未知の可能性を秘めているのだ、ということかもしれない。

できれば、自分のからだに備わっているであろう知らない機能を使い切って死にたいと思うのだが、それはなかなか難しいことだろうから、ひとつでも多くのああこんなこともできるのか私、ということを確認できたらまあ生きた甲斐もあるというものではないか。

宮崎のひなたや魚の骨、ひざ蹴り、西梅田公園、猛者の言葉。

もろもろの場所や人やモノで、私のからだが構成されていく。

外に正解を求めることはやめられないし、自分は間違っていると決めつけることも多いけれど、もろもろを経たからだの中に、どういう正解があるのだろう。

年をとるにつれ、いろいろなことができなくなると思わされることの多い一方で、それとは関係なく今あるからだの使い方を探していく道筋がある、ということのような気もする。

そうこうするうちに私なりの正解がひょっこり見つかるのだろう。