輝け!武術太極拳アスリート ~レジェンド選手紹介/原田将司~

原田 将司選手

原田 将司 HARADA Masashi
1983/10/30生 大阪府出身
所属:宮崎県武術太極拳連盟
ジャッキーチェンに憧れ中国武術を始め武術歴20年。
中国武術の中でも武器を持つ器械種目を得意とし、訓練開始わずか3年でJOCジュニアオリンピックカップで優勝。後に日本代表選手に選抜され、数々の国際大会に出場する。2009年にカナダで開催された第10回世界武術選手権大会で刀術の銀メダリストに輝いた。
その功績を受け、翌年には文部科学省から『優秀者表彰』を受賞。関西・関東では、競技コーチ・武術太極拳インストラクターとして活動し、2017年5月から九州は宮崎で活動。現在は選手育成や九州各地をはじめとした日本全国での普及活動に奮闘し、武術太極拳の世界チャンピオンを輩出するため、指導に尽力しながら、イべントや舞台などでの演武活動に励んでいる。
現在の役職等:
■( 公社)日本武術太極拳連盟 選手強化委員会 強化コーチ
■( 公社)日本武術太極拳連盟公認 拳術1級審判員
■ JOCオリンピック強化スタッフ
■ 九州・沖縄ブロックジュニア普及委員会副委員長
■ 宮崎県武術太極拳連盟 理事(国体準備委員長)
■ HIMUKA カンフークラブコーチ兼代表
主な競技成績・表彰:
■ 2009年 第10回世界武術選手権大会(カナダ) 刀術 銀メダリスト
■ 2002年 第10回JOCジュニアオリンピックカップ総合優勝
■ 2008年 第25回全日本武術太極拳選手権大会 棍術優勝
■ 平成22年度文部科学省優秀者表彰
■ JOCジュニアオリンピックカップ最優秀選手賞
■ 平成19年度葛飾区文化・芸術・スポーツ功労賞
■ 平成30年度宮崎県体育協会 スポーツ優秀賞(指導者部門)
主な出演:
■ 2013年 山本寛斎ファッションショー『HELLO JAPAN』出演
■ 2015年 『タカラトミー』 スターウォーズ ライトセーバーCM演技指導&出演
■ 公式教材「国体公開競技 武術太極拳」DVDモデル出演
■ MRT放送『わけもん《藤岡弘、宮崎ブらり旅~カンフーの達人~》』
■ 宮崎駅商業施設『アミュプラザみやざき』TVCM &ポスターモデル出演
■ 不動産会社『アーバン高塚』TVCM出演

武術太極拳との出会い

皆さんこんにちは。

選手強化委員会 強化コーチの原田将司です。

自身が本格的にコーチとして活動を始めたのは、27歳で現役引退をしてからになります。

大きなきっかけは、『子供たちを育ててみたい!チームを作っていきたい!』という気持ちが膨らみ、思いがいっぱいになったことです。自選難度競技にチャレンジし始めた「第一世代」と言われる中では、特に早い引退だったと思います。

引退を決意し、1人いち早く選手生活から退いたものの、今まで当たり前のようにあった選手仲間との時間(練習や大会・合宿)がなくなり、それを寂しく感じたのと同時に、何にも代えられない輝いた時間だったと再認識したことを今でもはっきり覚えています。

自分の人生を大きく変えてくれた”武術太極拳”との出会いは、16歳です。

高校1年生の夏頃、当時の同級生から誘いを受けて通うことになったカンフー教室からとなります。

それまでは部活でサッカーをしていましたが、高校に入学してからは特に何も取り組みませんでした。そんな中、何かに没頭したいという気持ちが生まれ、ジャッキーチェンが好きなことも理由にあり、カンフー教室に通うことにしました。

習いごと感覚で気軽に始めた武術ですが、1度大会に出てみてから意識が変化し、本気で取り組むようになりました。

家庭の事情もあり、アルバイトをしなければ習いごとが出来ない状況でしたので、輝かしい学生生活の思い出はほぼなく、武術の思い出しかありません…笑。

16歳からのスタート。周りの選手は既に上手。体は硬く、跳躍力がある訳ではない。筋力がとび抜けている訳でもなく…努力もそこまでしない…そんな自分に自信が持てなかったことを覚えています。当時の自分のビデオ動画は恥ずかしくて見れたものではありません…それでもなんとか勝ちたい! 負けたくない!…という気持ちが人一倍あったかもしれません。その思いや行動は間違った方向へ向かってしまったこともあったと思いますが…笑。

そんな自分を本格的に変えてくれたのが、一念発起し上京した「東京」だと思っています。

24歳の時に同じチームだった南拳の中田光紀と「選手をまっとうしよう。世界を目指そう」と上京し、ルームシェアをしながら同じ釜の飯を食い、東京の孫建明ヘッドコーチが当時率いるチームにお世話になりました。

この東京での生活が自身を変化させてくれました。

上京当時は、安定した仕事がある訳でもなく生活は不安定、日本代表でもない状態でした。

そんな自分が、これから勝つためには何をすればいいか? 日本代表になるためにはどうすればいいか?

必死で考え、がむしゃらに本気で生きることができるようになりました。

経歴も何もない身でしたが、有難いことに本当にたくさんの人に応援をしていただきました。仲間の存在にも助けられ、当時の自分にとって大きな原動力や支えとなり、今も感謝は続いています。

幾度か国際大会に出場させてもらいましたが、なかなかメダルを手にすることができませんでした。カナダでの世界大会で一度だけ銀メダルを獲得できたのですが、やっとの思いで獲得できたこのメダルはやはり特別なものとなりました。演武を終えてメダル獲得が決まった瞬間、お世話になったたくさんの方の顔が頭に浮かびました。代表チームに戻った時に喜んでくれた仲間の顔や、涙してくれた仲間のことは一生忘れることはありません。

一流選手…とは決して言えない自分ですが、人生を懸けたからこそ獲れたこのメダルや切磋琢磨した仲間や先生たちとの縁や思い出は、かけがえのない特別なもの。その特別な思いは、今のコーチングの原点になっています。

自分は「自選難度」というものに挑むことになった最初の世代でしたので、中国へ学びに行かせていただく機会も多くありました。厳しい訓練や生活を共にする機会を多くいただけたおかげで、同時代の選手たちとの親交が深まり、本当の家族のように親しくなれました。その関係は今も続き、引退して10年が経つ今も、「哥!(お兄ちゃん)」と親しんで呼んでくれる後輩がたくさんいます(世代の中で年長だったため)。自分にとっては、輝く青春そのものでした。

カナダで開催された「第10回世界武術選手権大会」の表彰台

コーチとして

東京で自身のチームを作り、精力的に活動する中、選手強化委員会 強化委員長の孔祥東コーチの補助として、東北地方などの講習会に参加させてもらう機会を幾度もいただきました。

そこで、たくさんの子供たちと交流し、武術を研究することができ、コーチング技術の根本を学ばせてもらえました。その知識や技術は現在の礎となっています。

コーチとして活動を始め2年が経った年、選手強化委員会 強化コーチに就任し、強化事業の合宿などに参加させてもらうようになりました。ここでも先輩コーチたちから学ばせてもらえることがたくさんありました。

チーム生の中には、JOCジュニアオリンピックカップの受賞や、日本代表選手に選出され、国際大会でメダルを獲得するメンバーも輩出できました。子供たちのことに一生懸命になることで、逆に自分がたくさんのことを子供たちから教わりました。

全て、周りの環境に力を貸していただいてのことだったと有り難く感じています。

今思い起こせば、苦しい経験も悔しい気持ちも、有り難い経験も嬉しい出来事も、全ての経験ができた、宝物のようなそんな東京時代でした。

関東、中国地方、九州の各チームが合宿で交流

現在の活動

各地方に講習会へ出向かせてもらう機会が増え始めたこともあり、地方への関心が沸き出てきました。自身がその地方を盛り上げていくことへの興味です。

「誰でもチャンスは掴める。本気で向き合えば未来は変わる。」そんなことを感じてもらいたい。伝えたい。導きたい…武術太極拳を通して様々な経験をし成長して欲しい…そんな思いが溢れました。

今まで得た経験を活かし、地方と言われる場所でゼロから作りあげていく…そこに情熱を持つようになり、33歳で九州の宮崎県へ移住し活動することにチャレンジをしました。移住した当初は武術太極拳のことは全くと言っていいほどに認知されていなく、戸惑ったのが正直な感想です。当然のことながら東京での暮らしとはあまりにも違う生活からのスタートでした。

認知してもらうことが普及への第一歩と痛感し、積極的なPR活動に取り組んだ結果、新聞やラジオ・テレビ出演などメディアへの露出を増やすことができ、次第に周りの目も変化してきたように思います。

現在は、自主チームの運営に加えて、県連では理事や国体準備委員として、九州・沖縄ブロックではジュニア普及委員会副委員長として強化練習のコーチや試験官を担当させてもらい、全国大会などでは審判業務を務めさせてもらいながら、日本各地への指導にも出向かせてもらっています。

環境が整っていなく、システムや流れが出来上がっていない地での普及や強化は難関で、まだまだ自分の不甲斐なさを感じている毎日です。

・ トップ選手と関われる機会が圧倒的に少なく、一流を目にする機会や、選手たちの雰囲気・感覚を感じ取れるような機会が多くない

・ 体育施設の数が少なく、電車やバスのインフラも整っていないため1人で通うには難しく、練習に参加可能な回数も少なくなる

・ 他県の選手との交流もライバルを身近に感じることも比較的少ないそんな状況だからこそ、この地で出来ることは何か …。

一県や一チームではなく、繋がって力を合わせ連携し大きな力になるようなことを探しました。

・ 福岡県の九州・沖縄ブロック ジュニア普及委員会委員長の三船英先生と連携させていただき、九州合同練習会や発表会を開催

・ 講習会を企画開催し、子供たちが交流出来る機会を積極的に導入

・ 専用道場を確保し、競技用マットの購入・常設

・ 特別ゲストを招待し、県フェスティバルを初開催

『アミュプラザみやざき』のポスターに出演

武術の業界ではごく普通の行事ではありますが、出来うる全てのことにチャレンジをしている最中です。

宮崎へ移住し3年が経ちましたが自身の行動と比例し、茨城国体での優勝や宮崎からは初となる日本代表選抜選考会(ジュニア)への選出など、子供たちは可能性を開花させ始めてくれました。

茨城国体少年女子で優勝した宮中選手

まずは自身から…大阪・東京で得た今までの経験を活かし、これからも生み出していくチャレンジを継続させます。

もっともっとたくさんの人に、このスポーツの魅力や楽しさを伝えていけたらという思いは、年々膨らんでいきます。

残念ながら、昨年はコロナの影響でいくつもの大会や表演会・講習会が中止になり、当たり前のように会えていた子供たちに会えない一年となりました。

安全対策を取り、カンフーの熱が冷めてしまわないよう、スポーツから得ることができる”やりがい”や”生きがい”が失われないように、イベントなどの開催へ奮闘している最中です。

まずは私たちが可能な限りの活動をし、なんとか子供たちの意欲や未来に繋がっていけるようなものを作り出せていけたらと思います。

「優しく強くなる」これが武術太極拳から得たものであり、私のテーマ。

この先も幾多の困難や壁が待ち構えていると思いますが、年々膨らんでくる武術太極拳への思いは止まることはありません。

16歳の普通の少年がここまで歩んでこれた軌跡を信じ、そして感謝し、これからも進んでいきます。

NO 加油 NO LIFE! 全力以外手無いで!!