輝け!武術太極拳アスリート ~レジェンド選手紹介/二宮 秀夫~
夢のはじまり
子どもの頃から勉強より身体を動かすことが大好きでした。小学校4年生から野球を始め、甲子園出場を夢見る野球少年でした。
中学2年生の時、当時大人気のアクションスターが映画のキャンペーンで来日した握手会に参加し、「彼のようなアクションスターになりたい!」そう強く憧れました。
そして中学卒業後に初めてのアルバイト先に選んだのが、百貨店の屋上やイベントで行われる「キャラクターショー」でした。
今でも面の中から見た子どもたちの笑顔、キラキラ光る瞳を見た時の感動が忘れられず、それが現在の仕事に繋がっているのだと思います。
武術太極拳との出会い
野球を続けながらもキャラクターショーでの感動が忘れられなかった私は、「アクションスターになりたい!そのためには何をすればいいのか?」と思うようになり、ちょうどその頃、映画「少林寺」のドキュメント番組を観て中国武術の存在を知り、「これだ!!」と思い、小学4年生から続けてきた野球を高校2年で辞め、本格的に武術太極拳を始めることになりました。
そして高校3年生の時、故千葉真一氏率いる「ジャパン・アクション・クラブ」(現在の「ジャパンアクションエンタープライズ」)に入所。日本最高峰のアクションエンターテイメントを千葉氏のもとで学びました。
武術太極拳選手として
武術太極拳をはじめて1年も経たないうちに「第1回全日本大会」が開催されました。
武術を始めて1年経たない私は初級者向け套路しか学んでいませんでしたが、「出場するからには優勝。」と意気込み、なんと本で覚えた「男子甲組長拳」で出場することに。
ところがどうしてもルールの1分30秒以内に演技をおさめることができません。やむを得ず套路を半分にし、代わりに憧れていつも練習していた中国チャンピオンの「旋子転体360度」という技を入れることにしました。
結果、旋子転体360度は失敗してしまい大会は予選落ちに終わりましたが、憧れていた中国チャンピオンの棍術を間近で観られたことで刺激を受け、その後の1年間、必死で練習に励み「第2回全日本大会」では2種目優勝することができました。
同年の国際大会日本代表選手に選ばれ、憧れの中国チャンピオンに次いで2位の成績を取れたことは、選手生活のなかでもとても嬉しかったことの一つです。
選手と仕事
翌年には本格的にアクションの仕事をするため大阪から東京に拠点を移し、子ども向け戦隊ヒーロー番組や時代劇、舞台、映画にと、憧れのアクション・エンターテイメントの世界に活躍の場を広げていきました。しかし仕事が忙しくなった一方で、武術で思うような成績を残せず悔しい日々が続きました。そこで意を決し、仕事を休業して以前から憧れていた中国チャンピオンが居る中国西安に留学することを決断しました。
西安では憧れの中国チャンピオンが所属していた「陝西省運動技術学院」で、彼のコーチに直接指導してもらうことができました。当時の私の套路は、全て彼を真似たものだったので、初めて套路を見てもらう時はこれ以上ないくらい緊張したのを覚えています。
この留学の結果、「第6回全日本大会」では、刀術、棍術で優勝。香港で開催された「第2回アジア選手権大会」日本代表選手に選抜。その後の、「北京アジア大会」「第1回世界選手権大会(北京)」「第3回アジア選手大会(韓国)」「第1回東アジア大会(上海)」「広島アジア大会」「第4回アジア選手大会(フィリピン)」と連続で日本代表選手に選ばれました。
休業を認め、留学を後押ししてくれた故千葉真一氏は、当時の私の活躍を誰よりも喜んでくれました。
これからの武術太極拳
1997年からの1年間、在外研修員として「北京体育大学」に留学をさせてもらい、そこで様々なチームの練習に参加し、様々なコーチの指導方法に触れることができました。また、中国国内大会でのB規定套路の指導をするという貴重な経験もできました。
北京での経験は現在でもコーチングの基礎になっており、武術指導の場面において活かされています。
改めて、このような貴重な機会を与えてくださった日本連盟並びにJOCにはとても感謝しています。
2001年には大阪にオープンしたテーマパークでエンターテイナーとして活躍の場を移し、今年で20年になります。15歳の時に初めて経験したエンターテイメントの世界。「アクションスターになりたい!」という夢を追い続けここまできました。これからもたくさんのゲストの笑顔とキラキラ光る瞳を見続けるために日々精進していきます。
コロナ禍で大会も行われず、皆さんが大変な時期です。特に現役選手たちはこの状況のなかモチベーションや体調を維持するのは非常に困難だと思います。それでも悔いのない選手生活が送れるよう、今何をすれば良いのかを考え、できる努力をしていきましょう。
いつの日か中国のチャンピオンに勝つ選手が日本から出ること、そして武術がオリンピックの種目になること、夢は願えば叶うと信じています。
1966/12/23生 大阪府吹田市出身
所属:アクション ホライズンズ 株式会社
主な競技成績・ 表彰:
■ 1985年 第2回全日本太極拳中国武術表演大会 拳術A・器械 優勝
■ 1985年 第1回国際武術激清際
長拳2位・棍術3位・刀術4位 3種目総合2位
■ 1989年 第6回全日本武術太極拳選手権大会 刀術・棍術 優勝
■ 1989年 第2回アジア選手権大会 3種目総合6位
■ 1990年 全日本武術太極拳競技大会 長拳3種目総合 優勝
■ 1990年 第11回北京アジア大会 長拳3種目総合6位
■ 1991年 第1回武術世界選手権大会
長拳2位・刀術2位・棍術3位 3種目総合3位
■ 1992年 第3回アジア武術選手権大会
長拳・刀術・棍術 3種目総合2位
■ 1993年 第1回東アジア大会 長拳3種目総合4位
■ 1994年 第12回広島アジア大会 長拳3種目総合4位
主な出演作品:
■ 1986年〜 超新星フラッシュマン 超人機メタルダー
光戦隊マスクマン 仮面ライダーブラック 仮面ライダーブ
ラックRX 超獣戦隊ライブマン 世界忍者戦ジライヤなど
■ 1988年 徳川家内乱激突
■ 1992年 徳川無頼
■ 1996年 BANG!BANG!BANG!