輝け!武術太極拳アスリート ~レジェンド選手紹介/青木カヤ~

青木 カヤ選手

レジェンド選手・青木 カヤ

武術太極拳との出会い

私が長拳と出会ったのは小学1年生のころです。私の通っていた小学校には、日本語がまだ上手に話せず、学校生活になじめない中国人の子どもたちのために、日本語学級という放課後のクラブ活動がありました。そこでは日本語を学び、また自国の文化も忘れないようにと、中国の歌を歌い、長拳を学ぶなどの活動をしていました。私は仲良くしていた中国人のお友達に誘われ、そのクラブに参加する事になりました。その事が長拳を始めるきっかけとなり、武術太極拳との出会いとなりました。

師との出会い

当時日本語学級で長拳を教えてくださっていた堀江英紀先生のご紹介で、私の生涯の師となる孫建明老師と出会います。孫老師の下で練習をされていた先輩方は、日本でトップクラスの選手ばかりで、小学校2年生の私は、練習量の多さ、技術を学ぶ姿勢、そしてその集中力に衝撃を受けました。

孫老師は基本に厳しく、基礎をきちんと身に付けさせる事を大切にされていました。日曜日の一日練習では、手型、手法、歩型、柔軟といった基礎訓練をたっぷり2時間、更に提腿、套路練習、素質訓練と計5時間ほどの練習を行っていました。繰り返し行う基本練習が好きだった私は、日曜日の練習を毎週楽しみにしていました。その練習を通して、基本訓練は、単に動作をきちんと身に付けるだけでなく、集中力や忍耐力をも高めてくれるものだという事を学びました。私は、基礎を積み上げたしっかりとした土台の上に、個性や技術が加わることで、人それぞれに素晴らしい風格が生まれてくるのだと考えています。その土台作りは本当に大事な事だと思います。当時、基礎をみっちり叩き込んでくださった孫老師には大変に感謝をしております。そして、その時間は今の私の武術太極拳での活動の大きな支えであり、大切な宝物です。

怪我からの復帰

22歳の冬、北京での強化合宿中に跳躍の着地に失敗し、膝の前十字靭帯を断裂しました。

帰国してすぐにリハビリを始めました。当時私は、オリンピック強化指定選手に選ばれていたので、国立科学スポーツセンターという、アスリートを対象にしたリハビリ施設に通わせていただく事ができました。土日以外は毎日4時間の筋トレ、電気治療に取り組みました。そこで出会った方々は、色々な競技のトップアスリートばかりで、後にオリンピックでメダルを獲得された方もいました。筋トレも全力、筋トレをサポートしてくれる理学療法士さんも手加減なし、休憩中は皆でワイワイおしゃべり。復帰のために全員が今できる事に、全力で取り組んでいました。何の種目の選手ですか?と聞かれる事が多々あり、「武術太極拳です」と答えると、何それ?という顔をされました。中国の少林寺でやっているような拳法です!といってもピンとこないようで、ジャッキーチェンというワードを使うと、ああっ!!とそれなりに理解をしてくれました。そんな普及活動(笑)とリハビリを5カ月続け、その1年後の全日本選手権大会に剣術と槍術の2種目で出場する事ができました。完全復帰とはいきませんでしたが、ひとまず復帰できた事にホッとしました。

その翌年には自選難度競技への移行が始まり、それをきっかけに私は太極拳での日本代表選手を目指す決断をします。まずは歩法の基礎練習から始めました。基本好きの私にとっては楽しい練習でしたが、長拳の瞬発的な力を使う動きとは違い、持久性の力を使う動きへの切り替えは、とても難しいものでした。蹬脚もその一つです。老師曰く、毎日足を上げていれば上がるようになるという事でしたので、ともあれ毎日家の壁で高圧腿をして、初めは片足5分づつ、慣れると10分、15分と時間を延ばしていきました。やっと足が上がるようになると、また次の課題へと…。太極拳の選手の皆さんに追いつくには時間が足りないと、常に感じていました。そんな現実とも向き合いながら練習を重ね、2年後の2005年、ベトナムのハノイで行われた第8回世界武術選手権大会に出場し、自選太極拳部門で第3位となり、銅メダルを獲得しました。その時9.71点という得点をいただいた事に、驚きと喜びで、今でもその得点掲示板が忘れられません。今自分ができる事全てを出し切った瞬間でした。私はそこで初めて、選手として完全に復帰ができたのだと実感し、支えてくださった先生方、応援してくださった皆様にも恩返しができたように思い、それまでの選手人生の中でも一番嬉しい出来事でした。

2002年全日本選手権、長拳剣術Aで優勝

2002年全日本選手権、長拳剣術Aで優勝

武術を習う上での私なりの心得

競技人生の中で、何度も中国に練習に行かせていただき、素晴らしい先生方にご指導いただきました。仲間と行く時もあれば、個人で行く時もあり、その度に環境は異なります。言葉の壁やレベルの違いに圧倒される事などもありますが、一番辛いのは指導をしていただけない事でしょう。原因は自分にある事がほとんどです。抱拳礼は先生の顔をきちんと見ているか? 一つのアドバイスも聞き逃さずに、繰り返し練習しているか?素直な気持ちで取り組めているか? 私はこの3問を大事にしています。全てが“Yes !”の時は先生との関係も良くなり、たくさんご指導くださり、それが結果として、上達に繋がります。何よりその方が楽しく学ぶ事ができます。今でもご指導いただく時はこの3問に“Yes !”と答えられるよう心掛けています。そして武術を学べる環境には、たくさんの方の支えがある事を忘れないように心掛けていきたいと思っています。

現在の活動

現役中からお世話になっています文京区武術太極拳クラブと地元の教室で太極拳の指導を、地元の小学校で月2回、課外授業で長拳の指導をさせていただいています。その中からジュニアの大会に出場する子どもたちが少しずつ増え、現在は足立カンフークラブを設立し、元気な子どもたちと一緒に楽しく練習に取り組んでいます。武術を学ぶ事で、心身ともに健やかに育ってほしい、そこから更に上を目指す子がいれば、そのお手伝いができればと思っております。

さいごに

この企画のお話をいただいて、喜んでお引き受けしましたが、私がお伝えできる事はあるのか、とても悩みました。レジェンドと呼ばれるような成績を残せたわけでもありません。ただ選手時代は色々な事を経験させていただいた事を思い出しました。成功、失敗、怪我、長拳選手から太極拳選手への変更、どれもその時は大きな出来事でした。ですが、どんな時にもできる事はあり、一歩でも踏み出す事で景色が変わりました。この事だけでも伝えられればと思い書かせていただきました。この大変なコロナ禍では、特にそうであってほしいと願っております。最後まで読んでいただきありがとうございました。又このような機会をくださった日本武術太極拳連盟に感謝を申し上げます。

日本代表選手の仲間 皆んながいたから頑張れました ありがとう

日本代表選手の仲間 皆んながいたから頑張れました ありがとう

引退試合 恩師である孫建明先生と

引退試合 恩師である孫建明先生と

 
青木 カヤ AOKI Kaya
1979/12/24生 東京都出身
所属:東京都武術太極拳連盟
主な競技成績 <国際大会>

■ 2000年 第5回アジア武術選手権大会(ベトナム・ハノイ)
  長拳B剣術 銅メダル
■ 2001年 第3回東アジア競技大会(日本・大阪)長拳B三種総合5位
■ 2002年 第14回アジア競技大会(韓国・釜山)長拳A三種総合9位
■ 2005年 第8回世界武術太極拳選手権大会(ベトナム・ハノイ)
  自選難度競技 太極拳 銅メダル
■ 2008年 第4回TAFISA World Sport All Games(韓国・釜山)
  自選難度競技 太極拳 銅メダル
主な競技成績 <国内大会>
■ 1996年 第4回JOCジュニアオリンピックカップ武術太極拳大会
  最優秀選手受賞 長拳1位 器械1位
■ 1996~2005年 全日本武術太極拳選手権大会
  長拳B1位・剣術B1位・槍術B1位・長拳A1位・剣術A1位
  槍術A2位・自選難度競技 太極拳2位 伝統拳術C2位
■ 2019年 第36回全日本武術太極拳選手権大会 陳式太極拳2位
■ 1998年~2002年全日本武術太極拳競技大会
  長拳B三種総合2位 長拳A2位・剣術A2位・槍術A1位